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アート基礎知識

アート鑑賞をより一層楽しむためのミニレクチャーNo.1



アート鑑賞の時キャプションに知らない専門用語あったために困った体験はありませんか。実はアート用語は単独で理解するよりも歴史を辿る方が理解しやすいのです。日本美術史、東洋美術史、西洋美術史別に古代から近現代までのポイントを理解することで展覧会が100倍楽しくなります。

目次

西洋美術史(1)

日本の美術史はBC1万年ごろの縄文時代から始まります。西洋の美術史はそのおよそ2万年前のBC3万年前から始まります。
 先にお断りをしておきます。何をもってアートというのか、それはそれぞれの考え方によりますがこのブログでは一般的な教科書通りに話を進めていきたいと思います。

先史美術

 BC3万年前というのは先史時代といい、アートの世界では先史美術と呼びます。代表的なものに、オーストリアのウィーン自然史博物館が所蔵している『ヴィレンドルフのヴィナス』という石灰岩でできた約11㎝の小さな像があります。放漫な胸とお腹とお尻が特徴のコロンとした可愛い形状です。多産と豊穣を象徴し、BC2万7000年前ごろに呪術的な祈りを込められたとされています。この頃から祈るという行為があったというのは興味深いことです。西洋美術は長い歴史の中で「祈り」を主題とした長い時期が続きます。そのスタートがこの小さな像だと思うと、感慨深いものがあります。
 他には、フランスのルーヴル美術館に行くと見ることができる彩文土器もBC4000年頃に作られていたと考えられています。彩文土器というのは、素焼きに顔料で水鳥、雄ヤギ、犬が文様化されて書かれています。この文様のデザインがかっこいいのです。大体28㎝くらいなので大振りの素焼きのコップに模様が描いてあるというと思うとわかりやすいです。「祈り」ではなく日常的に使用する土器にもデザインを施すというのは、「美しさ」「かっこよさ」などの意識があったことの表れだと思います。また、文様は模様のないものとの差別化を図ったということにも繋がり、この時代の文化が次に続く古代美術へ続いていることを感じずにはいられません。

古代美術

(1) エジプト美術

 エジプト文明は、ナイル川によって育まれています。漫画の「王家の紋章」によって知っている人も多いかもしれませんね。エジプト美術はピラミッドを中心としています。BC4500年〜BC30年までの長きにわたるエジプト王朝は初期王朝以降美術活動が活発であり、第3王朝から始まるファラオの絶大な富と権力の時代からが有名です。第3王朝のジュセル王の階段式ピラミッドに始まり、第4王朝のクフ王がナイル西岸のギザに角錐系の大規模なピラミッドを建て、カフラー王、メンカウラー王もピラミッドを構築しました。これらはギザの3大ピラミッドと呼ばれています。
ピラミッドは王を葬る墳墓であり、魂の永遠の住居だと信じられていました。そのため、肉体をミイラ化し安置しました。また、ミイラが破損しても魂を宿す場所として、王や王族の肖像彫刻が造られました。ミイラの代わりになるものですから、葬られた人物に似る必要があり写実的な技術が発達したと思います。
 代表的なものとして夫婦像『ラー・ヘテプとネフェルトの像』があります。夫であるラー・ヘテプは王の息子で、ヘリオポリスの大司祭だったと言われています。真っ直ぐに正面を向いて、身体がまっすぐに立っています。顔は非常にリアルにできていますので生前の夫婦を彷彿とさせています。
 墓室の内壁には壁画が描かれています。描かれた人物には特徴があります。頭と下半身は横から見たところになっており、肩と胸は正面を向いています。これは実際に描いてみるとわかりますが最も特徴を描き表しやすい方法なのです。また、下書きに方眼の目盛りを使って正確に描き表す方法を取ることもありました。今も下書きを写す場合などには同じ方法を使うことがあります。歴史を知る時に、人間のすることに大きな変化はないんだなといつも思います。

(2) メソポタミア美術

 古代は河の流域で文明は発展しています。メソポタミアは「川と川の間」という意味で、チグリス、ユーフラテスの両川流域で発展した美術です。この場所は、さまざまな民族が交代した場所です。そのうちのシュメール人の遺産から代表的なものをご紹介します。
 目の大きな礼拝者像は、神殿に奉献されています。多くの像は両手の前で祈りのポーズを取ったり杯をもったりしています。特徴のある大きな目には貝と黒い石が入っています。体は単純な円筒で足も腕も単純化されています。
 アッシリアには宮殿城門の左右に設置された『人面有翼の牝牛像』が残されています。今はフランスとイギリスにあります。私は、美大で学んだ時にこの像が見たくてたまらなくなりました。有名なところでは、大英博物館とルーブル美術館にあると思い、この両方にどうしても行きたくて何年もかけて見に行きました。当たり前ですがものすごく大きくて、触るとひんやりしていて、気持ちよかったです。すごい髭を生やしたおじさんの顔、身体は牡牛で体に比べると思いのほか小さな翼が付いています。今も写真を見ると「かっこいい」とトキメイテしまいます。

(3) エーゲ美術

 地中海を中心とした島々とギリシャ本土の美術をエーゲ美術と言います。「エーゲ海」というだけでエメラルドグリーンの海底まで見えるような透明の海を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 エーゲ美術の中で有名なのはクノッソス宮殿です。宮殿の壁はフレスコ画で装飾されています。漆喰でできた壁を乾き切らない時に描いていくのがフレスコ画ですが、描き直しができないため難しいものです。宮廷で行われる宗教儀式のようなものや海の生物や飛んでいる鳥、人物、草花など自然を忠実に描写し生き生きと描いています。動いているところを忠実に描こうとしたためか、左右は非対称の構図になっています。

(4) 古代ギリシャ

 ギリシャ美術は長い期間があり、いくつかの時代区分に分けられています。BC7世紀前後から始まったと考えられているアルカイック期について、現代も知られているのが「アルカイックスマイル」という言葉でしょうか。この時代に造られた青年という意味の「クーロス像」と少女を意味する「コレー像」に共通するのが口元の微笑みです。このちょっとだけ口角を上げている表情は、仏像彫刻にも見られますので私たちにも馴染みがあるものですが、この微笑みは笑っているわけではありません。彫像に生き生きとした生命感を与えるための「記号」のようなものです。この時代の男性像は全身裸ですが女性は服を着ているのも特徴の一つでしょうか。
 次に訪れるクラシック期での突出した変化は、「コントラポスト」でしょうか。それまでの彫像は真っ直ぐな立像でした。体は動かず、動きはアルカイックスマイルで表していました。ところが、B C450年頃に造られた『やりを担ぐ人』と呼ばれる彫像は片足に重心がある立ち姿なのです。(この立ち姿のことをコントラポストと言います)そのため、彫像に動きが感じられるのです。静と動の均整が取れており、現代に生きる私が見てもとても美しいプロポーションなのです。なぜならば、このポーズとプロポーションがそれ以降の西洋の男性像の理想とされているからです。
 クラシック期から引き継がれたヘレニズム時代は、今も我々が最も親しみ規範としている作品が生まれた時代なのかもしれません。この時代に造られた像はどんどん写実的になっていきます。そして、造っていくうちに行きすぎるという事もあるのでしょう。そんな作品が『ラオコーン』です。勉強する前にヴァチカン美術館に行ってしまった私はラオコーンのことを知りませんでした。なんの知識もなくラオコーンを見た私は心底驚いてしまいました。その美しさに、かっこよさに。中心のラオコーンは、2人の息子とともに祭壇の階段で二匹の蛇に巻き付かれた姿です。今にも噛みつきそうになっている蛇の頭をなんとか引き離そうと、ラオコーンは胸を反らせています。もう一匹の蛇は既に次男の脇腹に噛みつき、少年は死にかけています。長男はその間にも足に絡みついた蛇を必死に放り解こうとしています。この像の元になったのはギリシャ神話のトロイ戦争の末期の物語です。トロイアの神官のラオコーンは「女神アテナへの貢物」だと言ってギリシャ人が置いていった木馬に疑いを持ち、トロイアの同胞たちに警告します。そして木馬に向かって槍を投げました。それに怒ったアテナはラオコーンを殺すために二匹のヘビを使わしました。トロイアの人々はそれを神意と見做して、ラオコーンの警告を無視して木馬を城壁の中に入れてしまいます。トロイの木馬は有名な話ですが、その時の悲劇を表したものです。ラオコーンに絡みつく蛇によって血管が浮き出ているところを見るとおそろしくリアルなものに見えてきます。
 ルーブル美術館に行くと最も目立つところに展示してあるのが『サモトラケのニケ』だと思います。そして、同じように堂々と立っているのが『ミロのヴィーナス』です。この二つの像もこの時代に作られました。すごい時代です。かっこよさの基準がこの時代に作られた理由がわかるような気がします。

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